誉めあうゲームはけなしあうゲームと違って誰も傷つかないばかりか、誉められて悪い気になる人もいないから精神衛生的にもすこぶるいい。日本では学校でもその他の習い事でも、叱る、けなすが目立つが、ここではやはり誉め言葉が主流だ。大学でも教師たちは生徒たちの質問に「的を射た質問だ」とか「その点は重要だね」とか「よく気が付いた」などの讃辞を回答の前によくつけている。スポーツでもそうで、日本だったらミスをすれば、バカだのチョンだの、何度いったらわかるんだのと虐待的言葉が幅をきかすが、ここではたとえば結果が悪くてもその試みがよければ、コーチは、「グッド・トライ!」と誉める。以前慶応大学のバスケット・ボール部がアメリカからプロのコーチを招待押したことがあるが、その時の感想を学生が記したものを見ると、いずれもがけなされる練習から誉められる練習への大変化にびっくり仰天、大感激、次はグッドではなくエクサレントといわれるプレーをしたいなどと嬉し気に述べている。生活の潤滑油。誉め言葉と感謝を表わす言葉。二人の関係でもそれは同じで、私は誉め言葉は感謝を表わす言葉と共に生活の潤滑油だと信じている。しかし世の中には、そうした言葉をまったく持ち合わせず、バカだのブスだの料理が下手だのと侮蔑語ばかりが豊富な人たちもいる。身内を謙遜するつもりもあって配偶者や子供をバカ呼ばわりする場合があるのかもしれないが、その本人がいてもいなくてもそうした表現は聞いていてとても気分が悪い。他人ですらそうなのだから、いわれた当事者の気持は察するにあまりある。この間、数年前に結婚したという日本人夫妻に会ったのだが、二人の雰囲気が何となく似ていたため、私は、「あらよく似てるのね、兄妹みたい」と似ているのは相性の良さのしるしといったつもりで口にした。すると、妻が突然椅子から立ち上り、「兄妹?この人と?あたしこんな人に似てますか?」と夫を軽蔑しきったようにいったのである。私は二の句が継けず、まあ何というデリカシイのない女かと、凝視してしまった。彼女は大学で英文学を専攻したインテリだそうだが、学歴も文学も何の役にも立っていない。きっと彼女は結婚というものが何なのか、愛することが何なのか知らないのだろう。30代の半ばにもなってまるでガキ同然の精神構造だとほとほとあきれ返ってしまった。だが、世の中にはそうした悪妻も結構いて、何の取り得もないのだと平気でほざいているのです。