相手が話を聞いてくれない、面白くないという女性がよくいるが、そして中にはどう努力しても女の話なぞに耳を貸さない愚かな男もいるけれど、面白いことや楽しい話題は待っていて与えられると思っているオメデタイ女たちもいる。相手を責める前に、自分自身が面白い話を提供しようと、どうして思い付かないのだろう。生まれない。もし相手と本当に話がしたいなら少なくとも相手が理解している程度の経済や政治の理解がいる。中国語では意思と書くが、まさに意と思いがなければ面白いことなんてうまれない。話題しか持てなかったら、相手が話す意欲を失うのは当然だと私も思う。何をいいたいのか、何を聞かせたがっているのか。コミュニケーションと話し方と、相手のいいたいことのポイントがどこにあるかを理解する聞き方も大切だ。日本ではいまだにハッキリものをいうことを良しとしない風潮が根強く、話はずるずるだらだらしているのに、いったい何がいいたいのかさっぱりわからない。多分いいたことが本人にも確かとしていないのか、もしかしたらないのかもしれないが。という人がよくいる。しかし、それでは当然のことだがまともな会話はできない。西欧人が日本人はわかり難いというのも、実はその点が原因なのだ。私は、西欧のモデルがすべて人間的であり進んでいるとは思っていないけれど、この点に関しては日本人の考え方は正しくないと常々感じている。ある人々は、それは東洋の伝統だというが、中国人やタイ人を見て欲しい。彼らの多くは実にいいたいことをはっきりいう。日本ではコミュニケーションを成り立たせるためには、いいたいことのポイントをはっきりさせ、政治の理解がいる。その努力もせず、近所の噂話、子供のこと、親戚の話、スターのに意見をいうとうるさがられたり、特に女性の場合は生意気だと評されるが、自分の意同も個の意識もなく生きていくのは、知的な盲人に等しい。人々に考えさせず、己の意見を持たせないのは、全員を同じにしておきたいという保守派の陰謀なのだ。そうしておけば、簡単に人々をコントロールすることができるからである。私の父親は、言葉と行動に差のある人だったけれども、女の子の私にも、批判精神を持て。そして批判する時は代案を示せという教育と、教科書でも本でも書いてあることのなので私もさんざん苦労したが、この教育方針は、すばらしかったといつも感謝している。この二つは、自分の意見を持ち、それをきちんと表わすのに不可欠な要素だからである。