話の幹は何かをチェックする。自我を持たないよう幼い時から有形無形の教育が施されるため、たとえば洋服の好みはいえても生き方や社会に対しての考えを確立できないか、本人は確立したつもりでも母親なり祖母なりの生き方なり考え方なりを、日本では、女は嫁いだ後は夫の色に染まり己の意見なりをなぞっているだけにすぎない大人になりやすい。アメリカ人は、女でもいいたいことは昔からかなりはっきりいってきたとはいえ、六O年代、七0年代の公民権運動、女性解放運動が広まるまで、多くの女たちはを問うチャンスはなく、自分の意見をきちんと持っている女は少なかった。だが、女性解放運動は、直接運動にかかわらなかった女たちまで目ざめさせ、彼女たちは自分を人間として認識する訓練をし、それまでの男本位のモラルのウソを見破り、新しいモラルを生み出し始めた。もちろん過渡期にはさまざまな試行錯誤や混乱もあり、いまもそれは続いているけれども、それでも個が認められない社会よりは大幅に前進し、きちんと自分の生き方、考え方を持った女たちが激増した。そうした人たちは当然のことながら、明解な意見を展開する。中には権利意識の固まりのような女や自分さえよければ他の人ひとはどうでもいいといった利己的な女もいるが、インテリ女性たちの多くは自分の意思を、それもきちんとポイントを掴んで上手に話す術を身につけていて、しばしば感嘆させられる。そうした女たちは、聞き手としても有能で、相手のいいたいことを正しくキャッチする。自分がいいたいことを持っていれば、相手に、だからこそ話をしているのだと簡単に理解できるわけだ。しかし中には、話し手のいいたいことが何なのか知ろうとせず、何かをいいたいがためのたとえ話にばかりチョコチョコ反応し、本筋を脱線させる人もいる。聞き手としては落第だが、日本には、その落第組が残念ながらとても多い。私の知人にもその組に属する人が何人かいて、話す度にイライラさせられる。彼ら位女たちは、言葉が流れていることを会話と心得ているらしく、幹を見ずに枝葉ばかりを見たあげく、勝手に早合点の結論など出してくれるのだから困ってしまう。いい聞き手になるためには、いつも相手のいいたいことは何なのかを考え、幹と枝葉を分ける訓練が大切。その訓練を積んでいけば、相手の話の腰を折ったり、勝手解釈による誤解も妨げるようになる。口から飛び出す言葉の一つ一つに反応せずにね。